エンドー帝国  カンボジア撮影日記

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2004年 10月 01日

1001

もう10月ですね。
日本のみなさんいかがお過ごしですか?
もう涼しいかと思います。

カンボジアでの滞在も、残すところ2日。
明後日はタケオ新築パーティーのため、実質今日がラスト同然。
バイクであいさつ回りに出かける。
こうやって考えると、シェムリに知り合いが大分増えたと思う。

まず、アンコール遺跡群へのチケットゲート。
本来、ここを通過して遺跡公園内へ入る場合はチケットの提示が必要なのだが、俺は既に顔を覚えられている。
外国人の不法通過を取り締まる警官も俺を知っている。
いつも通過するときはクラクションを鳴らして挨拶をすると、あっちも手を振ってくれる。
「俺、明後日バンコクへ行って5日に日本へ帰るよ」
そう言うと、「おー、そうか。次、いつ来るんだ?」と聞かれる。
本当は、もういつ来れるかわからない・・・そう言うべきなのか。
でも、俺は「たぶん、来年。・・・4月くらい」としか答えられなかった。
それは、あくまでも俺がシェムリに次に着たいという希望でしかなかった。

次にアンコール・ワットの前の物売り軍団に会いに行く。
アンコール・ワットの前にバイクを乗りつけ、顔見知りを探すが、これまた一人も知ってるのがいない。
仕方なくパスして、アンコール・トムへ。
ここのバプーオン近くのレストランでいつも世話になっている。
バイクを停めるとおばちゃんが、「水?コーラ?」と聞いてきた。
奥から姉ちゃんも出てくる。
「明後日帰るから」
そういうと、発音はしっかり聞き取れないが、姉ちゃんは「サムナン ロォゥー」と言った。
グッド・ラックとういう意味だそうだ。
その言葉は、心に染み渡った。
別れを告げ、テラスの前を通って東へ。
実質、これが今回のラストランだ。

勝利の門を抜け、タ・プロームへ。
ここでもいつも寄る店に寄る。
ここの娘はちゃんと俺の名前を覚えていた。
クメール人には「SHUN」という発音が難しいようで、タケオでは「チュン」と呼ばれ、他でも「スン」とか「ツン」とか呼ばれる。まぁいいんだけど。最近、モムさんやしんちゃんは「エンドー」と呼ぶなぁ。あんま苗字で呼ばれたくないんだけど・・・
挨拶をし、そのまま東へ。
プレ・ループを通り過ぎ、東メボンの北側からプラダックへ抜ける裏道を走る。
普通の旅行者はここを通らないようで、村人が珍しそうにこちらを見ていた。
集落を抜け、バンテアイ・スレイへ行く道を横切って反対側の集落へ。
この集落で亡くなった、戦場カメラマン、一ノ瀬泰造氏の遺体発見現場の近くだ。
(ここは墓になっているが、あくまでも遺体発見現場であり、現在ここにお骨が埋まっているわけではない)
集落の途中でバイクを停める。
ここで撮影して数年経つので、ここの近所の人は俺を知っている。
子どもたちがわらわら集まってきた。
今日はオジジはいないようだ。
高床式の家の下にいたおばさんに「チョムリアップ・スォ」と手を合わす。
タイと違い、ポル・ポト時代に文化を徹底的に破壊されたカンボジアにとって、タイ人の様にいつでもワイ(両手を合わす仏式の挨拶)をすることは少ない。
特に俺のような外国人相手だと、こちらが改まって挨拶するのを見て、慌ててワイを返すくらいである。
「チョムリアップ・スォ」は、こんにちはと言うよりも、「はじめまして」の意味が強いので、目上の人や、久々に会う時に使っている。普段は「スース・ダイ」(よぉ!)を使えば十分だ。
ここでも同じように明後日帰る旨を伝える。
子どもたちも集まり、いつもの様に遊びながら撮影をする。
日本人女ガイドの感じの悪さと、日本人女ガイドはクメール人の男に金を貢いでいることで有名な某旅行会社(クメール人のガイドだんはいい感じ)の赤と白のツートンカラーの車が道を走って行った。
この村に日本人が来るという場所は、一ノ瀬氏の遺体発見現場しかない。
ここは、遺族公認どころか、整備代金とし勝手に金を巻き上げ、一時期は「TAZIO Tシャツ」などまで販売していた。
ついに最大手の旅行会社も、死者を売り物にしはじめたのか。

小一時間過ごし、シェムリへ戻る。
午後はだらだらと荷物をまとめる。
ロッカーの中のいる荷物といらない荷物をまとめる。
クンサムが、ビソットの家にいるマンチが今日はいなかったから死んだ、と言い出す。
クンサムはねずみのように、嫌がることを言って反応を伺う癖があるので腹が立つ。
しかし、数日前に川沿いでマンチを見かけたこともあり、家に帰るビソットに聞くと、「今日は見ていない」と答える。
どうするか考えたが、慌ててバイクに飛び乗り、ビソットの後を追って、ビソットの家に向かう。
いつも俺の顔を見てギャーギャー泣く娘も、ここ数日やっとなつき、表情は硬いものの、ビソットのトゥクトゥクの後からしぶしぶ手を振っていた。
ビソットの家の前を通り過ぎ、数件先の高床式の家に行く。
タケオのバイタクのサレンの家だった。
お前の家、ここだったのか。
マンチ登場。いるじゃん!
するとビソットは、「マンチをタケオに連れて行け」と言う。
マンチはタケオに来るとチュモーとつるんで、なぜか物乞いに襲い掛かるので、モムさんが犬歯を砕いてしまったのだが、まだ噛むらしく、噛まれた相手から金を請求され、モムさんの兄弟の家をたらいまわしにされていた。
ビソットの話だと、近所の鶏を噛み殺したらしく、どうもバツが悪いらしい。
そう言えば、以前、タケオの川向こうの雑貨屋の鶏を追い掛け回しているのを先生と笑いながら見たな。
鶏は逃げまくった果てに、雑貨屋のおばちゃんがマンチに石を投げているをカメラを構えて見ていた。
「モムさんが怒るからダメだよ」と言っても、
「大丈夫、モムさんOK」
脇でうんうん、と首を縦に振るビソットの奥さん。
「モムさんOKなら、今携帯でモムさんに電話してよ」
「い、いや。それはできない。でもモムさんOK」
「だから電話すればいいよ」
「無理」
サレンも「マンチ ダメ」なんて日本語で言っている。
しまいにゃビソットは「バイクに乗せないで、ゆっくり走って着いて来たと言えばいい」とまで言い出す。
「明日、連れて帰るから、今日だけはタケオに連れて行ってくれ」
そう言われ、渋々マンチをバイクの後部席に載せる。
村人は犬をバイクに乗せる姿を見て、笑っていた。
しばらく走ると、いつの間にか降りて横を併走するマンチ。
危ないので抱きかかえ、股の間に乗せた。
両手をちょこんとハンドルに乗せ、けっこう可愛い。これでバライヘ泳ぎに行ったり、写真屋に行ったりすることがある。
少なくとも、カンボジアで犬をバイクに乗せて走っている日本人は俺ぐらいだ。

マンチが乗っているのでスピードは出せない。
道沿いの人が皆こっちを見て指を指して笑い、すれ違う子どもは「チュカエ、チュカエ(犬、犬)」と言う。
わにえんを過ぎたあたりで、猛スピードでこっちへ来るアキラ先生とすれ違う。
こっちを見て、舌をべぇーと出して、走り去っていった。

タケオに戻ると、マンチの姿を見たモムさんが、両手を腰にあて、明らかに怒っている。
「いや、ビソットがモムさんOKって」
「また連れてきて!もう、日本へ一緒に連れて帰れ」
「俺だって日本にコイツ連れて帰りたいけど、おばあちゃんが犬か私かどっちか選べって言うんだよぉ(これはマジ)。ビソットが悪い」
と言い訳を繰り返す。
当の本人(マンチ)は早速チュモーとじゃれている。

すると今度はお手伝いのソォピィアを連れて、プサチャへ行って来いと言われた。
ソォピィアは今年の2月くらいからタケオで住み込みで働いている20歳過ぎの女の子だ。
かつての名物娘、チャンティと同じ村の出身で、チャンティのことも知っているらしい。
彫りが深いがかなりの美人であると思う、たぶん。
なぜか彼女だけが調理用エプロンを持っていて、それが似合う。
最近、呼ぶと「はぁい」とか「ナニ?」と気の抜けた日本語で返してくるのがまたたまらない。
最初は爆笑した。
ソォピィアを後に乗せてシヴォタ通りを走る。
日本人が見たら、後にクメール人を乗せてて不思議に思うのか?なんて思っていると、アンコールマーケットから出てくる先生とまたすれ違う。
「ソッピー、恋人いるの?」
お手伝いの女の子たちが、前、ソォピィアは地元に彼女がいてもうすぐ結婚するんだなんて言っていたから聞いてみた。
「いるよ」
「年はいくつ?」
「23」
「名前なんてーの?」
「…知らない」
どう結婚の話はウソのようだった。
プサチャの前にバイクを停めてソォピィアを降ろす。
バイクの向きを変えて、少し待つとすぐにソォピィアは戻ってきたのでタケオに帰る。

夜は、ここ数日タケオで一緒に過ごしてきた女子4人組(みんなばらばらで来た)とトンレサップのビアガーデンへ。
途中で雨が降ってきて、レインコートを着る。
バイクのライトが弱いこともあり、有視界は5メートル。
肌寒い。
いつもの店に行って、ビールを注文。
雨漏りがするがそれはご愛嬌。
4人を連れてきたガーが、「鶏肉うまいぞ」と言うので注文する。
ガーはチャムなので肉を全く食べない。誘っても嫌がる。
酒も飲まないので申し訳ないがこちらだけで頂く。
飲んで、転寝して楽しい一日だった。
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by ong-bak | 2004-10-01 09:40 | 写真日記


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