2005年 07月 18日
島の朝。 メコンを太陽が照らす。 集まったのはスペイン人カップルと中国人パッカーのミス・リー。 タイ国境へ向かうグループと共に今にも沈みそうな船に乗せられる。 船底からゆっくりと水が染み出し、床を侵食する。 船は揺れながら対岸に向かう。 水の侵入は納まらず、到着同時に機材の入ったバックパックに触れる直前に引き上げることができた。 たどり着いた対岸がナカサンのようだった。 しばらくアスファルト舗装の道を南下し、遮断機のある検問所のような場所で停車した。 ここでピックアップトラックに乗り換える。 検問所から先は、未舗装の道が森の中へ続いていた。 森の中を走る国道を、1~2キロ南下した所にラオス側のイミグレが建っていて、敷地内へ入ろうとすると外へ行く様に指示された。 係官がスタンプを持って外の掘っ立て小屋にやってくる。 不正な金なのはわかっているので「領収書書いてよ」と言うと「ない」と答える。 「じゃあここに書いて」と日記帳を出すと、ご丁寧に英語とラオ語で書いた。 書かれたからには拒否するわけにはいかないので、おとなしく払う。 「国境はこの先だ」 やって来た道の先を見る。 未舗装の道が、森の奥へまだ続いていた。 4人で歩いてカンボジア側へ向かう。 5分ほど歩くと、左手に「CAMBOGE」とフランス語で書かれた馬鹿デカイコンクリの道標が建っていた。 裏側には同じく「LAOS」と記されていた。 そこからしばらく歩くと、森が切れ、小屋があった。 ドンクロロ国際国境と看板が掛っていた。 小屋の裏に建つ警察署の警官に手招きされ、そちらへ行く。 どことなく林家こぶ平に似た日本人顔の警官だった。 国境について一安心し、荷物を下ろしてリラックスする。 ここからメコン川までどのくらいあるのか。 メコン川は見えもしない。 「メコン川は近いの?」という問いに表情が変わる警官。 「お前たちはメコン川の国境に行きたかったのか?」と聞かれた。 「???」ここじゃないの? ラオス側のイミグレまでの道がやけに内陸だとは思っていたが、カンボジアーラオス間の外国人通過可能な国境はメコンの畔の1ヶ所だけのはずだった。 そこも、通れるのにガイドブックに載らなかったり、越えた人からの詳細な情報がないので、自分がデータ収集しに来たのに、着いたのは聞いたこともない密林の国境。 ストゥントレンまでの移動手段を尋ねるときっぱりと「ないよ」と言われた。 たまに通る車しかないらしい。 どのくらい外国人が来るか聞くと、週に一組来るか来ないかだとか。 メコン川の国境はここから4キロ西にあるのだが、ラオス側からでないと行けないらしい。 「う~ん、お前たちはラオスを出国しちゃってるからなぁ。一緒に行ってラオス側の警官に事情を伝えてあげるよ」 こぶ平警官はそう言ってさっき来た道を戻ってくれた。 国境あたりまで歩くと、森の中をさっきのピックアップが走って来た。 交通機関がないこの場で移動手段はこれしかない。 4人で相談し、こな車にストゥンまで乗せてもらうように頼むことに。 警官にその意思を告げ警察署まで戻る。 運転手と値段交渉をすると、全員で40ドルなどと言い出した。 ストゥンまで約40キロちょい。 1キロ1ドルかよ。高っ! 公務員の給料より高いし。 カップルとミス・リーが値段交渉をするが、移動手段がこの車しかない足下を見られ、強気に一切値下げしようとしない。 他の車が通るかもしれないという期待をし、その場で待つことに。 警官は「こないだ、アメリカ人の自転車旅行者を泊めてやったんだ。今日ストゥンへ行けなければ泊まれはいい」と言っていた。 本を読んだり、昼寝したりして時間を潰す。 車の連中も他の手段がないのをわかっているのか余裕でこちらが折れるのを待っていた。 今朝買った水もそろそろ尽きかけている。 何もすることがない時間を潰す。 交代でロンプラを読んだりして時間を潰すが、車が来る気配はない。 バイクに乗ったおじさんが、警察署に書類を出しに来たくらいだ。 やがて、車が1台やって来た。 運転手に「どこへ行くの?」と聞くと、「パクセ」と答えが返ってきた。 パクセだと戻って来る可能性は低い。 諦める。 こぶ平ポリスは、でかい鍋で米を炊き始めた。 飯か… 昼には到着するだろうと思っていて、食料は何もない。 米が炊けると、こぶ平は、俺たちを誘ってくれて、テーブルにご飯とスープを並べてくれた。 おかずに魚のスープも付けてくれた。 水加減はほどよくふっくらしたご飯だった。 デザートにスイカまでもらい、水も分けてもらった。 世間話の中で、こぶ平ポリスは色々話していた。 メコン川の国境とは数週間の交代勤務だということ。 家はストゥンにあり、子供がいるということ。 「俺たちは構わないけど、どうするんだい?今日、ストゥンに行くのであれば、そろそろ行かないと」と言われる。 これ以上待っても他に車が来る気配はない。 仕方なく、先ほどのピックアップと再交渉。 三人で交渉した結果、なんとか34$にまで下がった。 1人あたり1$と5000Kの値切りで交渉した。 ラオスを出てしまえば、キップは使わない。 だったらここで使ってしまいたかった。 国境に近ければキップの使い道だってあるだろう。 だいたい1$=10000Kなのだが、このピックアップの2人組みは、国境を越境して車を運転しているのに、キップの価値がわからないのか、相当渋った。 こぶ平ポリスに説得してもらい、なんとかキップを受け取ってもらう。 話がまとまったところで、やっとカンボジア入国。 カゴに無造作に入れられたスタンプを取り出し、全員のパスポートに入国印を押す。 そして、「ここは田舎だから生活が苦しい。1人3$払ってくれ」と直球で来た。 「領収書をくれ。そうすれば払う」 「領収書はない」 「ここに書いてくれればいい」 「それはできない。お前たちは飯を食って、水も飲んだろう」 そう言われれば何も言えない。 俺が片言のクメール語でコミニケーションをしていたからか、一瞬俺の顔を見て、「2$にしてやる」とこぶ平は言った。 うまい飯を食わしてもらったし、水ももらったからと割り切って、2$払う。 準備はOK、40キロ南のストゥンへ向けて出発。 そして、こぶ平ポリスがそっち勤務の日でばったり会ったらおもろいな。 車は、これまた未舗装の道を進む。 村も、人も見えない。 こちらもカンボジアの国道なのに、車体の左右が斜めになるほど道は傾き、荒れている。 途中、何箇所か枝分かれしていたので、こちらからストゥンへ行くのには大丈夫そうだが、逆は絶対に迷うだろう。 野焼きをしているので、人はいるのだろうが、姿は見えない。 初めて見かけた村のはずれで、運転手が車を止める。 パンクだった。 荷台に乗っていた若い男が、自転車用の手押しポンプを持ってくる。 これを数度繰り返し、国境から約2時間半、40キロ南のストゥントレンに到着した。 バイク 数台 人 10人 車 0台 チェックインした宿で、ここからメコン川の国境までのボートの値段を聞いてみる。 「アンタ、どこから来たんだい?」 ラオスから来たのに、不審に思ったのか尋ねられた。 「ドン・クロロ」 そう答えると、笑われ「彼、ドンク・ロロから来たって!」と言われた。 そんな場所から俺たち来たのね・・・ つづく
by ong-bak
| 2005-07-18 21:16
| ★カンボジアあれこれ★
|
アバウト
カンボジア専門カメラマン、エンドーの旅そして日々の(怠惰な)生活 カンボジアの写真と言えばエンドー帝国。急性骨髄性白血病により2007年7月14日逝去。エンドー帝国は永久に不滅です。 by ong-bak カレンダー
カテゴリ
プロフィール 写真日記 カンボジア写真 2006冬旅 2006夏旅 2006春旅 2005秋旅 2004夏旅 ★カンボジアあれこれ★ カメラ!カメラ!!カメラ!!! ●コ ラ ム● SHUNより『お知らせ』 SHUNより『面会について』 遠藤俊介『お知らせ』 『ご連絡専用ページ』(休止中) 以前の記事
2013年 06月 2011年 10月 2011年 09月 2010年 10月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 03月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 2001年 04月 フォロー中のブログ
link
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||