2004年 09月 01日
6時に起床。 10Dに70-200ミリを装着し、大通りへ。 アオザイ姿の学生を遠巻きに撮影。 身支度を整え、おじいちゃんに別れを告げる。愛想のいい、陽気なおじいちゃんだった。 久々に旅立ちが悲しかった。 サイバーカフェでフォーを食し、8時半、シンカフェのバスへ。 人数は10人もいない。 サイゴン出発。 市内をゆっくり走る。その遅さに、眠気に襲われる。 ふと目が覚めると、大きなガソリンスタンド。 以前にも来たことがある。見覚えのある中国風の庭園があった。 小休止し、国境へ向かう。 ベトナム側の国境、モックバイは、再開発の途中だった。 以前あった国境事務所は、スタイルはそのままで立替中で、ベトナムの出国事務所は商店街らしき区画の一角にあった。 出国手続きをするが、一つの窓口で二人の係官しかいない。しかも賄賂をはらった連中は次々に抜ける。 結局俺は、最後の最後での、日本人の最後の一人だった。 手続きはそこだけで、国境を越える。 この国境は、この辺りで一番「国境」らしい場所だ。 ベトナムとカンボジアの緩衝地帯の中心に、石碑が建っている。 先日のオムサノウ-ソンテンは明確ではないし、ポイペト-アランヤも明確な表示はない。 ラオスとの国境、ドンクロロは、山中にフランスが作ったらしきコンクリートの石碑が道端に建っている。 タイとラオスの最南部の国境は金網で仕切ってあるだけだ。 ラオスとベトナムのラオカイの国境は、端の真ん中から色が塗り分けられていたのでわかりやすかった。 国境を越える。 緩衝地帯の北側は、のどかな田園が広がり、掘っ立て小屋が建っていた。 カンボジアのイミグレの北側は、カジノを作るのか大工事をしていた。 ここの国境はいくつかの小屋があり、一番ベトナム側の小屋がビザセクションだ。 以前はここでビザを取得できなかったのだが、去年はできるようになっていた。 本来、国境で取得するビザは20$(のようだ)。 ポイペトでは、今まで1000B(約3700円)を、20$に値切ってきた。 係官にビザが必要だと言うと、書類を渡され必要事項を記入する。 前の西洋人は、25$と言われ、素直に払う。 値切れるか? 係官は割りと感じがいい。 書類を提出すると、25$と言われた。 すかさず、クメール語で 「ビザは20$でしょ。俺、知ってるよ」 と言う。係官は顔を見合わせ、22$と言い出す。 「ここに20$って書いてあるんだけどなぁ~。このビザにも、このビザにも20$って書いてあるよ」 そう言うと、係官はそれ以上何も言わず、ビザを発給してくれた。 勝った! 入国ブースでパスポートを置き、スタンプウが押されるのを待つ。 裏の建物では、警官たちが卓球をして過ごしていた。 1ヶ月滞在のスタンプが押され、バス停に向かって歩く。 田んぼの中を水牛の群れが歩いていたので撮影をしていると、一人の男が心カフェの名簿を持って名前を聞かれる。 どうやら俺を探していたらしい。俺が最後だったようだ。他の連中は、荷物運びの連中に金を渡したようだ。 キャピトルバスに荷物を載せ、しばらくすると出発。 国境近くのホテルの庭に、でかいアンコールワットの模型を見た。 国道を西へ走る。やはりベトナムと景色が違う。 道はいい。 3年前の悪路が嘘のようだ。 バスは速度を加速し、プノンペンへ向かう。 わずか30分で、スバイリエンに到着。ここは、以前道が酷すぎて、体が空を飛び、頭を打ったくらいだ。 そんな道も舗装され、高速で移動できる。 目が覚めると、ニャッルーングの対岸でフェリー待ちだった。 現在、ここは日本による橋をかける基礎調査が行われている。 日本はカンボジアに多額の支援をしている。 以前は現金などを贈っていたそうだが、金だと政府の上の人間が懐に入れて終わってしまうので、建築会社を派遣し、道や橋を作り始めた。 プロジェクトXで有名なプノンペンの日本橋や、去年、カンボジア国内でメコンに初めて掛かった、コンポンチャムのスピアン・キズナ(絆橋)などを掛けた。 そして、カンボジア政府の要求に答える形で、このニャッルーングにも橋を掛ける事になったのである。 再び、眠りに落ち、目が覚めるとプノンペン市内に入ったところだった。 突然の大雨が降っている。外の人は、皆屋根の下やガソリンスタンドに逃げ込んでいた。 プノンペン市内でも道路に水が溜まるくらいの大雨だった。 ところが、ある程度北に進むとその雨がぱたりと止んだ。 道路を見ると、止んだのではなく降っていなかったのだ。 国境から3時間でキャピトルゲストハウスに到着。 明日のシェムリ行きのチケットを買ってソリヤセンターへ。 やはり最新の建物なので、おしゃれをしたプノンペンっ子が多い。 ベトナム人はスタイルがいいが、正直かわいい子は少ないと思う。 逆にクメール人はちゃんと着飾ればかわいいぞマジで。 田舎だと、服とかひどいが、元はクメールの方が美人だよ、うん。 でもやっぱり日本人が一番だよねぇ。 チュモーの餌を買いに行くが、キャピトル近くのBIG Aの方がいいのがあった。 また炒飯を食べに行き、ネットして戻る。 アキラ先生と電話をすると、 「ニュース見た?」 「見てないっすけど」 「今、すごいことになてるよ」 「何がっすか?」 「富士山噴火」 マァージィーでぇーー。いやいや、言っているのが先生である。きっと嘘に違いないと思いつつ、隕石がぶっとびまくる静岡、山梨、箱根を想像しちゃう俺。 世界はもう、ドラゴンヘッド。こんなおいしい状況で日本に帰らなくていいのか、俺? 「ネットじゃダメだなぁー、どっかでテレビ見て。じゃね」 慌てて外へ出て、ネット屋行くが既に閉店。 キャピトルレストランも閉まっていた。 アーーーーーーーー、嘘だとわかってても気になるぅぅぅうぅぅ。
by ong-bak
| 2004-09-01 21:18
| 2004夏旅
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カンボジア専門カメラマン、エンドーの旅そして日々の(怠惰な)生活 カンボジアの写真と言えばエンドー帝国。急性骨髄性白血病により2007年7月14日逝去。エンドー帝国は永久に不滅です。 by ong-bak カレンダー
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