エンドー帝国  カンボジア撮影日記

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2004年 11月 30日

1130:我慢の限界

新宿のコニカプラザへ。
丹沢とアメリカの景色の写真展やってた。
大学に戻る。
学校近くの民家の車の上で野良猫がひなたぼっこをしていた。
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3時から卒業アルバム委員会。
トムに頼まれたのでやっている。
今まで工学部と別だったのだが、厚木で4年間を過ごすメディアアートがあるので、今年は工学部と合同になった。どこかで誰かの陰謀。
工学部の連中の、不要なページが半分以上を占めるってことになる。
いらないよ、そんなページ。欲しがる奴は誰もいない。

実行委員会室で先日の、来年度の学祭日程について話す。
夕方もう一度行くと支部長踏まえて話をしていた。

要点は
ハッピーマンデーという迷惑な制度ができたので、月曜の授業日数が足りない
後期の終わりを延ばすことは、もう日程決定したので不可能
動かせるのはどうでもいい学園祭のみ
移動日は1ヶ月早い10/9,10/10
そうすると写真学科伝統であるフォックスタルボット賞の締め切りが非常に近くなる
実行委員会は夏休み返上で働かなければならない
参加団体も減る可能性がある
タルボットなどのコンペが重なるため展示系の質の低下

など、問題は多く、ほとんどの写真学科の実行委員が「無理」、学校の良識のある教授も「不可能じゃないの?」と言っている中、なぜか「学生の要望」として10/9に日程変更を進言したとも聞く。
学校側は、委員長=総意などと、とぼけたことをぬかし、このまま決定しそうな勢いだ。
前にも書いたけど、うちの大学の後期は12月半ばで終わる。
4月まで学科、学年ごとに違うけれども、この期間に来なければならないのはわずか数日。
12月も1月も、名ばかりの「調整期間」という日程があまりに余っている。
なのに、その期間に授業はやりたくないらしい。
だから「どうでもいい学祭」を移動したいようだ。
厚木で学生代表と大学の間で行われる会議があるのも知らされていなかったし、この議題の回答を厚木に持って行く二人が、そもそも厚木の学友会だとか、厚木の学園祭実行委員会の出身だ。
中野は、場所が狭いため、法人事務所こそあるが、ほとんどの機能は厚木にある。
だから、厚木の学友会は「本部」でこちらは「支部」だ。
厚木の馬鹿面を並べた(しかも工学部)連中に、中野は事実上支配されていると言ってもおかしくない。
学園祭の予算などに関してだって連中の言いなりだ。向こうの方が権限が強い。
会議の予定も知らされず、密室会議で、厚木の息がかかった人間が行くならば、工作員のようなもんだよな。
厚木の学園祭の日程が決まったいきさつは「あっちの方が早く言ったから」。早いもの順だって。そりゃおかしいんじゃないの?

支部長を踏まえて話をした後、3年の女が「遠藤さんはもう関係ないんで」などとぬかし始めた。
学祭を手伝うだけ手伝った俺に最上級の暴言。
「渋さに関してもお礼はいいました」などとぬかす。
よくもまぁぬけぬけとそんなこと言えるもんだ。
資材をつくばに返すのにだって、運転お願いしますと言って、資材運搬当日姿を見せない上、電話も通じない。
他の部署の人間まで、詰め込みに手伝いに来たのに。
翌日聞いたら「寝てました」などとほざく女だ。
こんな脳味噌カラでキチガイな女、殴り飛ばしてやりたかったけどこらえて外へ出た。
どっかから持って来て置いてあった円卓を蹴り飛ばしていた。
俺もそうだけど、コイツは殺される理由があるとすれば、その口のせいだろう。

怒りや憎しみの力がいかに強いかを実感する。
そのまま暗室で写真を焼いたら、驚くほど集中して作業が進んだ。
大学入って、ここまで本気で頭に来たのは初めてだった。
最後はいつか・・・専門学校の卒業制作でイライラしてた時、電車の中で酔っ払いに絡まれ、首根っこを捕まれた時、拳でその酔っ払いをブン殴った時以来だった。

もう限界点突破。
無理プー。
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by ong-bak | 2004-11-30 20:55 | 写真日記


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